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2013年への思い [雑感]

[かわいい] 2013年、明けましておめでとうございます [かわいい] 
 
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1年2か月ぶりの更新となります。
 
2013年の新年を家族で迎えることが出来たことに心から感謝します。
 
2012年の後半は
 
予測もつかないほどの出来事と
 
自分でも覚えたことのない苦悩と模索の毎日でした。
 
その模索は年を越した今も課題が持ち越しとなっています。
 
主人が突然重篤に倒れてから
 
もちろん大変な日々ではあったけれど、
 
精一杯乗り越えてきました。
 
だけど、こんなにこんなに心と身体が辛くて厳しい日々は想像できなかった。
 
心と身体はきしんでヒビだらけのように感じるけれど
 
私の痛みが
 
主人や家族への明日へ続く糧となるのなら
 
喜んで痛もうと思います。
 
この身を運んで神様や仏様や先祖様に感謝を思い伝える隙間がないほどに
 
時間がいたずらに経ってしまい
 
手を合わせて部屋で天井を仰ぎ見て
 
「ありがとうございます」と言ってみたりしていました。 
 
 
誰とも話したくない会いたくないと思うのは
 
拒否しているわけではありません。
 
自分を労わることが難しいうちは、他人様に交わることは失礼と思うから
 
(ひとりが好きということも大いに手伝ってのことと思う)
 
こんな主人をひとりにはできないと思えば・・・
 
すべてはそこへ還るのです。
 
 
 
今の主人の体の中で起きていることは
 
医者でもわからぬことが大きくある
 
医者わからぬことでも私にわかることあるが
 
大半はわからない、つかめない、
 
本当はどうなっているのか
 
本当のことって何か?
 
わかってどうなることか?とか
 
わかることが良いのか?・・・とか
 
そんなふうに思いながら始まって、手探りで歩んできて、
 
9年半が経とうとしています。
 
私の歩みはどうだったか、
 
その答えを求めること自体ばちが当たりそうな気さえする。
 
今さえ良ければそれでいいとは思ってもいない。
 
いろんな事あっても、今こうして私や子供が主人の傍で暮らさせて貰えることが
 
どれほどの幸運で有難いのか染み入っている。
 
 
良い流れのある中でも
 
良い流れの中だから必ずしも良いもの・事ばかりでないことを
 
この間となった昨年の11月以降から思い知らされている。
 
産むことは本来苦しいものであるのか・・
 
苦しみを乗り越えたら
 
その先は?
 
どうあったとしても歩みをとめることは出来ない。
 
 
「一休み」も必要!と周りでいつも声をくれるけど、
 
「周りが思う一休み」と「自分が思う一休み」とは誤差がありすぎるのかなと思う。
 
 
強靭な精神力が更に必要。
 
もう私のこころの準備は八割がた出来ている。
 
 
 
2013年1月7日は勝負事がある。
 
武運はどうか?
 
1月7日、どう転んでも
 
私はたぶん動揺はしない。
 
御神籤と一緒
 
それは神様のおぼしめしと。
 
流れに逆らうことはしない。
 
 
主人が倒れた時に自分に誓ったことがある。
 
自分を信じて思いのままに看よう[手(グー)]

 
「思いのままに」とは、
 
好きなようにという直接的な意味ではなく
 
「思い悩んで熟慮し努力した挙句は自分の直感を信じて自分が出した選択を進もう」という意に近い。
 
その中に他人様の御意見も聞きながらも含めている。
 
自分を信じることは大事と思う。
 
選択失敗?と思ったこともたくさんあるし
 
致命的なことを選択してしまったことを後々になってから知ることになった辛い事実もあるが、
 
悔いてはいない。
 
その時々自分を信じてきたから。
 
いつも、このようなことを
 
自分の中で、「気慰めの看護」とくくっている。
 
気慰め以上の何物でもない。
 
それでいいと思えるし、これ以上のことは難しい。
 
 
明日のことなんて誰にもわからないし、
 
わからないからいいのではないか。
 
そう、これも、気慰め。
 
努力は限りがないものと思っている。
 
毎日、自分の思う努力が出来足りない。
 
 
今年はきっと間違いなく、大区切りの年で、
 
今までの総決算の年になりそうだ。
 
 
今年は、主人と平成5年5月に結婚してちょうど20周年の年で、
 
主人が倒れてちょうど10年を迎えるし(看護年数10年)、
 
60年に1度の出雲大社・本殿遷座も本年5月、
 
20年に1度の伊勢神宮御遷宮もいよいよ本年。
 
個人と神様を同じレベルに考えたらダメなんですが(すみません) 
 
あやかるにはこの上ない・勢い戴きたい・良い区切りとなります。
 
だからこそ、今年は心して過ごしたい。
 
 
年末、ひそかに計画していた
 
「お正月年始 おかげ詣り行脚」(熊野・伊勢参詣)は、
 
主人が29日に熱が上がり下がりしておさまり、 
 
大晦日~息子が下痢と高熱・・・・
 
1月2日~私が高熱・・・・
 
昨日1月5日昼ごろから娘が嘔吐と熱・・・・
 
そんなに甘くはありませんでした。
 
完璧と思えるほどの綿密な旅の計画を何夜もかけて練ったのに、
 
明日には、明日には持ち直すと願いながら、
 
悉く打ち砕かれていった事柄は、
 
まるで神仏からの拒否を連日受けているがごとくで、
 
泣きが入ります。
 
それほどまでに崇高な神々なのだと感じました。
 
安易に事は運べないぞ!と。
 
まったく本当に私の不徳です。
 
願いを他力本願で叶えてもらおうつもりな欲が強く伝わったのでしょうか。
 
1月7日、明日、
 
神社に向かうつもりで行きたいと思います。
 
無心にはなれないかもしれないけれど。
 
 
今日は気になっていたところのお掃除をがんばります。
 
 
この記事を見て読んでくださっている皆様、
 
今年もよろしくお願い申し上げます。
 
皆様にとっても飛躍できる1年になりますように。
 
お互いにがんばりましょう!
 
 
 
読んでくださいまして、ありがとうございます[揺れるハート] 
 
(更新は今度いつできるかわかりませんがご容赦くださいませ。) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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人の出逢いから [雑感]

明日でお詣りを始めて2ヶ月になる。

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何とか続いている。

かなり忙しい時はくじけそうになる時があるけれど、

それでも、前には進んでいる気がするから、

がんばってみようと思う。

ときどき、 

自分は何にどこに向かっているのかわからなくなる時がある。

続く道. - コピー.jpg

それは人の「人生」についても、一緒だと思う。

 

生きていると、いろんな人と出逢う。

自分に必要な人(この人とは運命の人で離れたくないと思ったり)、

自分を必要としている人(この人は私が居なきゃだめだからずっと傍に居てあげたいと思ったり)

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でも、もしかしたら、

どちらも

自分が勝手にそう思いこんでるのかも・・・

 

 

確かに運命の中で出逢ったのは事実だけれど(「袖すりあうも多生の縁」)、

いつまでも本当に自分に必要な人である存在なのか、

長く一緒に居ても、お互いが変化していくのに?

 

夫婦か、恋人か、友か、親子か、きょうだいか、上司か、部下か、取引先か・・・・

自分にとって相手が必要だと思う時って、どんな時?

関係性にもよるけど、

結局はわかりやすく考えると、

その人に「会いたい」と思える時なのかな?

それとも自分が何かを成したい時に手助けしてくれそうだからかな?

接触でも、非接触でも、

それらの人と関わり合いたいと思う時かな?

 

だとすれば、

会いたくないとか、接触したくないと思うようになるのは、

自分に必要ない人ってことになるのかな、

・・・・・ってことは、

人間って、結局、勝手だよね。

勝手って、言葉の遣い方荒いけど、

でも、悲しいかな、自然な成り行きだと思う。

 

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私じゃなきゃだめなの、この人・・・・って思ってても、

相手もそう思って、しばらく一緒に居たとしても、

境無しに、こちらか、あちらか、どちらかか、

あ、この人じゃなくてもいいや・・・とか、

あ、この人じゃなかったな・・・とか、

自然と違う人に変えたり、変わったりして・・・

結局、

無自覚性運命的執着心症候群がそうさせるのかもしれません。

 

結局、勝手になるんだよね。

でも、それが自然なのかな。

 

人のこころほど変わるものはないように思います。

人の心の中にも、変わらないものはあります。

「想い出」 と 「信念」。

信念は、心の根底にある自分の良心だと思います。

何かが終わっても、

消えない消せない事実、真実はある。

「良心に苛まれる」と言う言葉は、

最終最後の 人としての後悔の呵責。

 相手に対して、自分の良心が痛むというのでしょうが、

自分の心持ちは案外コントロールしやすいのかも、、

でも相手の気持ちが見えることはないから

そのせいで清清とした気持ちになることがないという・・・

 

他人に寄り添うのはなかなか難しいもんです。

 流れに逆らわず

甘んじて受け入れるのがいいのかもしれない。

時には、スパンとことごとくあらゆる関係を

フリーズしたり、自分で決別するのもいいのかもしれない。

 

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私も若い時、

若かったゆえの恋愛傷があり、

いまだに苦い思い出ですが、

相手が変わるということを受け入れられずにいました。

いえ、いつか自分のこころも変わるかもしれないのに・・・です。

無理をして添おうとしてもうまくはいかないことを知らなかった。

男と女に限らず、人間って、

解き放たれ自由になれば、束縛を求め、

束縛されれば、自由になりたいもの・・・でしょうか。

すべて、パラドックス(逆説的論理)が働き、

世の中、正負の法則がありますものね。

一方があるから、もう一方が成り立ち、

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一方のおかげで、もう一方の価値が分かるのです。

 

私の今の生活もそうですが、

求めるものが容易く手に入らないからいいのかもしれません。

求めている最中がいちばん充実し貴重な時間なのかもしれません。

人間には欲がある。

手に入らないものを求めたがる。

でも欲がなければ生きていけない生き物だということも知らなくてはいけない。

欲は悪いことばかりじゃない、

向上心も育てる。

向上心は競争に繋がる。

何を以て勝つとか負けるとかの議論はさておいて、

勝者が出来れば、敗者も生まれる。

敗者は勝者になりたがり、勝者はまた敗者になり得る。

この世の中、競争が無ければ、ここまで文明は発達しなかった。

でも、ここに来て、この欲や競争が環境を壊していき、住みずらくなり、

自然破壊の脅威がわれわれ人間に警告をうならせはじめた。

やっと、我に返るチャンスと機会を掴みかけている。

いまのままではいけない・・・と、

神が厳しさとともに教えてくれる。

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私の主人も、罪穢れの災いというのでしょうか・・・

理解しがたい事柄。

どうして・・・・

なんで?

どうして・・・・・

答えがまだみつからない。

いや、答えなんぞないのかもしれない。

私がこの人(主人)に出来ることはなんだろう?

8年も前から毎日ずっと問いかけている。

これでいいと、

これでおしまいと、

いうことはない。

昨日より今日、 

今日より明日、

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きっと奇跡がおきるはず・・・・

そう信じながら生きるしかない。

奇跡が起きないとも起きるともわからない。

わからないから、掴みに行く。

もう、息ができないかもしれない・・・と思いながら

もうここまでしかできない・・・・と思いながら

今、ここまで、辿りついている。

いや、もうすこし、進んでみようか・・・

いたずらに時は過ぎて行っているように思える。

いたずらに、

いたずらに何もしていないように思える。

だが、生き続け、足を一歩踏み出しているだけでも

前に進んでいることを

ありがたく嬉しく思わなくてはいけない。

何と比べてもいい、

何と比べなくてもいい

いたずらに進んでいけばいいと思っている。

 

少なくとも言えることは、

他人に対して、

決定的な立ち直れないようなことを言っちゃいけない。

決定的な立ち直れないようなことをしちゃいけない。

夢も希望ももぎとるようなことをしちゃいけない。

それがたとえ嘘になったとしても・・・

 

 


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頑張るという言葉について [雑感]

最近、私は氏神様詣りの記事ばかり書いていて、

その他の話題の記事を書いていなかった。

神様、神様・・・ってと、

読んでくれているひとは

そう思うかもしれない。

ある1面から見ると、

神様にすがっているようにもみえるだろうし、

他力本願で何かをタナぼたで受けようとしているようにも見えるかもしれない。

このブログひとつで、自分の事を思想から何から全部書ききれやしない。

誰に向かって分かってもらおうとしているつもりもない。

主人のことを助けてほしいと思う気持ちがほとんどだが、

このブログが不特定多数の人たちの目に触れることで

何か双方(発信側と読み手)が何かに役に立ちそうな部分が見いだせるのは

とてもそういう面ではいいツールだと思う。

新聞もテレビも本も

本当の事かどうかというメディアリテラシーの問題は受け手の取り様だ。

ほんとのことかどうかなんて思いだしたら

人の話なんて聞けない。

基本的には他人の意見を聞いて自分がどう学んでいくかということが大切だと思う。

それぞれの嗜好というものもあるので

取捨選択すればいいと思う。

究極論で、好きか、嫌いかになるんだろうが、

好きばかりではいけないと思う。

いつも思う。

自分が嫌いと思えることが

実は自分にはものすごく足りないことで

嫌いと思うことをどんなにか理解しようとか

好きにはなれないかなとか

どうして自分はこれが嫌いと思うんだろう・・とか

そんなことをあえて思ったり選択しなくてもいいと思いがちだが

あっさり、案外、思い込みとか

逆に好きに転じたり、はまったり、することもあるかも・・・なんて思ったりして。

生理的に嫌いな事柄はあるんだろうけど。

物も、人も、事象も。

世の中、相反することがあるから成り立ってる。

一方しかなかったら、何でも大変なことになるよ。

神様のこともそうだけど、

目には見せてもらえないことだらけで

目に見えないどこに向かって何を生もうとしているかなんて考えない、

どこに向かって何で生きるの?という話と同じよう。

禅の考え方もよくは分からないから

知った風には言えないけれど、

生きとし生ける自分の中に仏様は居るのだと説いているように、

神様も、どこかにいらっしゃると信じているが、

実は、自分の中に神は存在すると思っている。

毎日、神社詣りをさせてもらっているが、

手を合わせるたびにそんな思いがする。

私が神ですと言っているのではなく、

禅の考え方と同じで

それぞれの、我々自身の中にも、神のような部分があると思う。

生きていれば

楽しいことばかりではない。

苦しいこと、試練がたくさん降ってくる。

どちらかだけじゃない。

どちらもあるからこそ、生きていける。

人間は刺激がないといけない。

刺激とは感じるということ。

人間は唯一「理性」というものがあると聞いたことがある。

「理」とは理屈の「理」。

「理」とは、意味を見出すことと解釈している。

人間に、唯一、理屈を見出す性(さが)があるということだ。

逆に表現すると、

人間は意味を見いだせないと生きてはいけないということ、なのか?

なかなか深すぎる。

難しく考えずとも、

前向きに、

自分でそれなりに何かにつけて意味をみつけて、

命を全うするまで

生きぬいてみよう!ということなのか。

「頑張る」という日本語の言葉は、

好きな人もいるだろうし、嫌いな人もいるだろう。

たしかに曖昧な言葉かもしれない。

よく、頑張っている人に

もうこれ以上頑張る必要はない・・とかよく聴かれる。

がんばって!って、言って欲しくないとか、

人を励ますのには、最上級の言葉だと、私は思う。

曖昧な表現が日本語には多いと、諸外国の人たちは言うけれど、

曖昧だからこそ真髄を突かずやんわりと背中を押されたり

心痛めつけずにすむ美徳な言葉だと思うけれど。

がんばって!と言われたら、ありがとう!って思いたい。

素直にそう思おうじゃないですか!

な~~んて、思いました!!

ちょっと支離滅裂な気もしますが、

気にしませんよ。

「雑感」ですから。。。


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お久しぶりです。 [雑感]

1ヶ月半ぶりの更新です!

皆様、お元気でいらっしゃいましたでしょうか?

わたくし、超絶に多忙な日々でございました。

ブログは気になるものの

PCに向かう気力はございませんでした。

ですが・・・・・・・・

 さすがに・・・・・・・・・

先ほどテレビで見た こやつに ↓ パーフッ[ー(長音記号1)][演劇]

NEC_0185.JPG

ブチ切れまして~~

お前~~!!!

何様だと思っとんのや~~~[パンチ][パンチ][パンチ][むかっ(怒り)][むかっ(怒り)][むかっ(怒り)]

・・・・・・と

書かずにはいられなくなりまして~~

仏の顔も三度(何度目や~~!!)

菅政権は首の皮1枚状態でございますね・・・

「ほんとに見たくないのか・・」×3・・・・の映像、

孫さんに踊らされていることを承知で乗っかろうとしているのか?

見るとか見たくないとかの問題じゃなくて・・・・・

菅さん、ご自身の足元を見ましょうよ!

あなたご自身が墓穴を掘ってどうするんですかぁ???・・・・・と、

国民はもはや菅さんをあてにはしておりませぬぞ。

自民も民社も醜い相撲ばかりで

日本の将来はどうなるのか・・・はぁ・・

罵り合いしている暇があるなら、

被災地のハエでも駆除しに行きなさい!

どんな賢い大学行って、どんな高官になっても

非常時に役に立たないんじゃあ意味ないですな。

世の中のしくみ作る人たちがこんなレベルじゃあ、

復興どころじゃない。

出る杭は打たれ、

足の引っ張り合い、

子供のけんかみたく

早く義援金を、地方自治体に渡しておしまい!!!

スーパーで見かけて

哀しくなった。

義援金箱の中身が

不要なレシート入れと化していた。

なんか

久しぶりに書くのが

た、楽しい[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]

 

 

 


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疲れ&変わるための準備 [雑感]

主人が退院して間なしの体調の管理(主人の)と私自身の体調管理で

かなり疲弊しています。

主人が倒れてから7年と11か月、

ここまで駆け足で過ごしてきました。

最初の急性期の病院の医師には、

良い状態で過ごせたとして5年・・・と言われていました。

亡くなる死因としては「感染症」がほとんど・・・とも言われていました。

あのとき、いろいろ進言頂いたことは今も役に立っています。

予防となり、励みになり、

こうして小さな事から大きなことまでひとつひとつ乗り越えてきた。

1日、1日、また1日・・・・・

自分の事を後回しにしてきたことは

今の私の体調が、それを教えてくれる。

自分を大事にしなよ・・・

壊れるよ・・・

自分の身体から声が聞こえてきた。

毎日の日課はかなりハードに詰んできた。

毎朝、一番に行くトイレで

「あぁ、疲れた」と口からでることに危機感を感じ始めた。

何も用事がない日が無い・・・・

駆け足で駆け過ぎたかな。

変わらなければいけないのは

急遽回復が必要なのは今は私のほうかもしれないと気付いていた。

何かと出逢うもの・事が符合する。

偶然でなく、必然に、

さまざまな自分に必要なことが知らされる。

それをアンテナで掴めているのに、

実行できない物理的な問題。

私に今必要なのは、

変わるために使える時間。

 どうしても削れないものは仕方ないとして、

自分に時間をプレゼントしてあげないといけないと思っている。

まずはしないといけないこと・・・・

片付けること。

物に殺される・・・とずっと思ってきた。

限界がきてしまった。

新しくまた頑張るために

「断舎利」が必要。

気付き、確信した。

これをしないと先はない。

他人の世話が出来るのは、自分のことがきちんと出来てから。

ずっと、後回しにしてきたことのツケが来ている。

大ごとにならないように

今こそ変わることをしなければ・・・・

また新しい流れが生めるように

志気を高めてやろうと思う。

変わるための準備を・・・・・


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主人、退院いたしました! [雑感]

拝啓、

このわたくしめのつたないブログを読んでくださっているかなり貴重な愛すべき

読者の皆様へ

主人が5/7(土)夕方に、退院、致しました!

御心配&祈り&応援・・・大変ありがとうございました!!

し、しかしですね・・・・

退院するのに、お迎えに病室を訪れましたら、

看護師さん2人がベッドのところにおられて、

主人のそばに行ってみたら・・・

右の肩に嘔吐しておりまして・・・[がく~(落胆した顔)]

はぁぁぁ。。。。??

ガックシですわ、

おまけに瞬間怒りがこみあげちゃいまして・・・

風邪こじらせ未だゼーゼーヒーヒーゴロゴロ咳しながら怒りに震えましたですわ。

嘔吐して汚れたまま、先にオムツを2人してごそごそ替えてくれとるんですがぁ              (怒りに震えると岡山弁になる・・)

ええ、ええ、言わせていただきました・・っていうか自分で手動かしてやりました。

ゲ・・ですよ、ゲ・・・・

主人はしゃべれませんから~

『これ、どうにかして~!』 って言えませんから~~

「臭いゲか、濡れたパッドか、、、そりゃ究極の選択かもしれませんよ~!

二人でおんなじとこせんでもいいでしょうに!自分の身に置き換えて考えたらわかるでしょ!」

って・・・・あ、止まらんかったです、しばらく・・・

おまけに二人のうちの一人男性の看護師で、

私が病室に入ってからモノも言わんし・・・・[ちっ(怒った顔)]

あたしも大抵のこたぁ辛抱しましたぜ!

誰もおらん主人のそばで何されても嫌でしたからな・・・

土曜日でしたから、当直の医師一人しか居ない言うから、

体調最悪なわたくしももうヘナヘナ限界で・・・

2時間ほど帰り支度ちょぼちょぼして様子みてましたが

その間は特段何もなかったんで、

退院して、帰宅したんですがね・・・・

ここから最後のメインエベントでしたんですわ・・・トホホホ・・・ゲホホ・・

もう書く気力がないです。

次回に続く・・・・・

(バタン キュー)

 

 


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プロ意識 [雑感]

一週間前の木曜の訪問入浴の時、

愕然としたことがあった。

主人が倒れてから七年と九か月になるが、

急性期の積極的治療期間一年と一か月ののち、

現在の地の終の棲家に転居して、六年と八か月になる。

訪問入浴のサービスは六年半、同じ業者に頼んでいる。

一週間に二回、主人は訪問入浴を利用しているから、

365÷7=約52週として、52×2=104回/1年、104×6.5=676回/6年半

6年半のあいだで 概算676回訪問での入浴をしたことになる。

先週、いつもの入浴方法で入っていて、

私が、「もう少し長いネットがあったらいいのにね・・・」とつぶやいたら、

あっさり、「ありますよ~、長いの・・・」とひとりの介助のひとが言った。

「えっ。あるんですか?」と私。

「他の利用者さん、使ってますから・・」と。

6年半の間、何回と無しに言っていたのに、

あることすら言ってはくれなかった、というか、

何故、誰も、気が付かなかったのか、

何故、私の言葉を真摯に受け止めてその先のアクションがとれなかったのか・・

3.4か月に1回、担当者を集めて情報交換やらこちらの要望やら言ってきたのに、

短い入浴ネットは、主人の伸びきった脚やひざ裏を圧迫する。

上体を起こして背中を洗う時はひざの裏にネットの端があたり

その上、力が異常に入り緊張が強い身体を支えるには小さすぎた。

6年半もの間、これしかないという固定観念や認識は

知らなかったのは私だけだと今、わかった。

酷すぎる。

主人はものが言えない。

主人は文句を言えない。要望も言えない。

私は、罪悪感に苛まれた。

過去に戻ることはできない。

6年半ものあいだ、

私は知り得なかったこととはいえ、主人に痛い思いをかろうじてさせていたのには違いない。

どうして??

私は自分の詰めの甘さを悔いるとともに、

これでは終わらるものかと考えた。

こうやって、知らずに過ごしている利用者がほかにもいると思い、

本社の統括担当者に訴えた。

業者の地区の管轄の支店と拠点のセンターの管理者の人たちを呼んで

自宅で事の流れとともに改善してもらうよう直訴した。

やはり、管理が行き届いてないことが露呈した。

人が人を看るということは本当にた易くない。

業者はプロの集団と思っていた甘さも痛感する。

私の思うプロ意識は彼らにはなかった。

もっと、ささいなことでも、どんな他愛無い話にも心を傾けて

利用者本人や介護者の声を聴いてほしい・・・と。

私も含めて健常者は、

心身に障害を持ったり、弱い立場にあるひとを守らなければならない。

特に、そういう介護関係の仕事をしている人はなおさら、努めなければならない。

管理者であっても、時間給のパート勤めであっても

その責務は等しく発生する。

限りのある時間内に仕事を終わらせるだけと思うならほかの仕事に移ったほうがいい。

障害が重い人ほど、福祉用具は選びに選んで使用しないと、大変なことになる。

一介護者が気が付けるほど、商品知識はない。

気が付こうにも気が付けない。

ケアマネージャーにも責任がある。

一定の期間ごとに、いろんな環境を見直す必要がある。

うちのような、最重度の障害を持つものや、

長期間同じ状態が続く一見代わり映えのない状態のものも

健常者が老いていくように、

患者も目に見えぬ変化はあるのだ。

それにしても、6年半という時間は長すぎて、

寝込んでしまうほどとても心が痛んだ。

私はここでまた学習した。

私なりの反省をこれからに生かす。

自力動作叶わず、意思疎通が困難な主人のためにも

もっとしっかり周りに知ってもらう努力がいる。

歩み寄れないなら、こちらが入り込んでいこう。

わからないなら、わかってもらおう。

プロ意識がないなら、持ってもらおう。

教えてもらわないと分からないというなら、教えてあげよう。

おこがましいが、それが私の主人や自分たちを守る術(すべ)になる。

次回の担当者会議でこのことを主な議題にして話し合うつもり。

言い訳や仕方ないという業者は来てくれなくていいと思っている。

わかろうとしない人達に、時間を費やすほど暇はない。

自分の仕事のプロ意識は何か?

どんな仕事であれ、これでいいということはない。

何事も完璧はないと思う。

 

 

 

 


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急に、般若心経の解釈に思う。 [雑感]

 

立教新座中学高校の校長が卒業生に宛てたメッセージの記事を書いている途中、

娘を近くの駅まで送っていく用事が入り、1度記事の保存をして

記事を新しくして書いている。

娘を車に乗せて運転しているとき、

急に、「般若心経」の解釈を思い出した。(理解出来ているかはさておいて)

 

 

<解釈のひとつとして> 

仏とは何か。彼岸の智慧を得た者のことをいう。

彼岸の道に向かって深く追究していくと、

因果の原因は本来無いものだということが、心の眼で捉えることができる。

そうなると、一切の苦しみと災難から超えられる。

舎利子よ、一切は自分自身ですらあるようで無いのだ。

万物すべて一つなのである。

だから、舎利子よ、この世のさまざまな因果の法則とは、

生じることもなければ滅することもないし、

垢がたまることもなければ、浄 ( きよ ) まることもない。

増えもしなければ、減りもしない。

それゆえ、空 ( くう ) の中に色 ( 形や存在 ) があるというのではなく、

それら別々でなく、すべて 一つなのだ。

また差別することや、物や心の境界、肉体に関係する様々な自我の思いも

本当は無いものなのだ。

無いものであるから、迷い自体も、迷いが尽きるということもなければ、

老いることや死ぬことも、そこに苦悩自体も生じないのだ。

であるから、小賢 ( こざか ) しい知恵もないのだ。

肉体のなかにある自我を捨てたとき、このように見え、わかってくるのだ。

菩薩行の末、彼岸に着くと、神仏の智慧が与えられ、ものの真相が明らかになる。

般若の智慧を得ると、心に「とらわれ」がなくなり、恐怖の心も湧かなくなってくる。

物事を逆さまに見ていたことから遠く離れるので、

行き着く先は、神仏の世界しかない。

諸々の仏といわれる者は、

一人も漏れなく、大いなる神からいのちの果実を与えられ、大安心を得た。

だから、知るのだ。さあ、悟るがよい。

彼岸への道は、大いなる神への祈りであり、

一切の智慧の教えであり、これにくらべられるような道理はない。

能 ( よ ) く 一切の苦を除いてくれる。

真実であり、偽りのないものだ。ゆえに、この説は不変の教えなのだ。

総じて、教えを要約するとこうなる。

『あなたも、わたしも、神仏を信じて 一心を神仏にゆだね、努めて励んでゆくなら

 ば、安寧の境地に達することができる。永遠に変わらぬ心の教えである。』 。

 

うーむ、やはり、難しいな。

主人の心身が五体満足だった時をよく思い出す。

主人の声も、話し方も、どんなだったろう・・・と思うことがよくある。

私は、げんきだった時の主人を知っているから

以前とは別人になってしまった感は否定できないわけで、

そうふうに、話しの中で、私の家族以外の人に言うとですね、

「ご主人は変わってないって!」と慰めのことばをいただく。

内心、そうは思っているけど

現実は・・・厳しいよ。 うむ。

毎日、忙しくしていられる今はまだ、紛れているのだと思う。

時々、無性に、

どっと自分が壊れる時がある。

今の環境も、

正直、誰と話していても、異次元で過ごす自分がいたりする。

主人が倒れたときから

穴が開いたところが塞がらないような感じか?

どこか晴れない心持ちというか。

しかたのないことでござるな。

*****

主人の元気だった時の頭の中の思い出や思念の魂は、

今の魂と同じなんだろうか・・とか、違っても繋がっているのか・・・とか。

時々、ふと考えるときがある。

変わらないもので、いつまでも消えないものってなんだろ・・・と

*****

私は、人の想念だと思っている。

肉体が滅んで姿かたちが目に見えなくなっても

過去にあの時思ったことやその時々の人の想いや想い出は、

いつまでも消えることはないと思っている。

膨大な人類のかつてからのそういう想いは、どこへ在るのだろうと疑問に思う。

「在る」こと自体がないと説かれていても、 

誰もが簡単に悟れることがないから、

人間を筆頭に、生きとし生けるものに生まれて、生死を繰り返し、

永遠の課題として 

脈々と遺伝子に、目に見えないものが引き継がれていくのかな。

*****

それにしても、悲しすぎる。この度の東日本の災い。

災いを受けなかった私たちは

「免れた」と安堵を覚えることすら、申し訳ない気持ちがする。

きっと、今は、愛する人の声や姿を探してしまう時間(とき)の中で

自分を責めてしまっていると思う。

加えて、生きることが難しいほど、苦しい環境。

本当に想像を絶します。

まずは、食べるものが先決だとおもうけれど、

ひとりひとりの必要な最優先のものは違うと思う。

言葉にするのが軽すぎる・・・・

 

 


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性同一性障害を持つ被災者のかたへ支援の呼びかけのつぶやきから [雑感]

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まだまだ社会生活の中で、偏見をもたれる傾向にあるのは障害を持った方だけではなく、性同一性障害を持った方々にもそれはいえるだろう。

いち早くその視点を見出し、仕事仲間で性同一性障害をもつ友人のオデヲン(@odewon)さんが被災地で同じ立場で行き場を失っているのではないかと支援を申し出ていることを、ツイッター上でつぶやきとして知らせているのがデーブ・スペクターさん。→ (デーブさんのツイッターへ

このつぶやきが素晴らしいと感銘をうけた。

私も、差別許さない主義者。人種や肌の色・身なりや服装・貧富・宗教・性別・同和問題・もちろん身体や心に障害を持つ人・・・などのあらゆる偏見や差別・区別を許さない!「それは、偽善だ。」と言う人は、論外。

「性同一性障害」と表現されることすら「障害者」扱いだと思うが、私は「個性」だと捉えている。いや「個性」という言葉の意味も適当ではない気がする。本人にとってみれば、生まれた時からそれが普通だからである。私は学者ではないので、メカニズムは知らないが、どんなメカニズムがあったにせよ「わたし」というクオリアの持ち主。多くのメディアで最近こそその「個性」をとりあげられ、認知度が上がり、一昔前よりは、生きやすくはなった、とはいえ、まだまだ、彼らや彼女らにとってみれば、生きずらい世の中であるに違いない。

こうして、たくさんの被災された方々のなかでも、またそれ以上に気を遣って生きていかなければならないこういった方々を救いたいという人たち、ここではオデヲンさんやデーブさんを尊敬する。と同時に、もっともっと偏見や差別・区別をしない自分たちになろうと、人類皆に訴えたい。


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やきもきバケツリレー案~尊敬の師・遠山正瑛さん~~  [雑感]

被災地に物資が届かないことが露呈しだして、はや何日経つか・・・

何も出来ない私ごときが口をはさむ資格はないが、

なんだかんだ言って放射能は浴びたくはないんだ。

なんのための放射能測定器、

問題は起点は数多くあると思われる。

まず一国のトップ、というよりかはトップを支えるツワモノがいないこと、

よっぽど民間人の方が先見性と行動力ある。

一人では国を動かせない。

必ずその下には生え抜きの根性すわった人がいる。

今はトップダウンだけではコマを動かせない。

 

アメリカの部隊があっという間に仙台空港に降り立って

あっという間に整備してくれ、

日本の自衛隊に「ここ、いっちょあがり、どうぞ」、立ち去って「次いこ!」みたいなこと

今回こそ、やってのけてほしいな・・・

わたしが責任取るからついてこい!とグイグイ引っ張ってく・・・そんなこと

まだないのか。

足は飛行機や車にしかないか?

アナログなところも残しておくべきだ・・・と今日どっかで誰か、テレビよく出る人言ってた。

火事場のバケツリレーのように

被災地まで有志並んでもらって物資リレーするってのは馬鹿な考えかしら?

よっぽど早く届くと思うけど。

それ、もし、するなら、

遠いから現地行くまでと帰る時間含めて2日間くらいなら

主人の事子供に頼んで、飛んで行ってリレー参加したい。

日頃から運動してないから、きっと足腰つぶしそうだけど、

やりたいよ!

これ、一人じゃ出来ないことだからな、

だって昔むかしは飛脚あったし。


遠山正瑛 さん

中国の砂漠緑化に生涯取り組んだ元鳥取大学名誉教授。
当初、鳥取大学農学部で鳥取砂丘の農地利用の研究をしていた。
鳥取砂丘に作物を植える計画など実現不可能と、初めは変人扱いをされていたが、長芋やかぼちゃなどの栽培を成功させる。その後、農業技術の指導のため中国へ渡るが、日中戦争が勃発。志半ばで帰国をする。
半世紀近くがすぎ、日中国交回復後、再び遠山は中国へ渡り、中国の砂漠緑化に生涯をかける決意をする。しかし、反日感情が強く、地元中国人からは協力が得られない。そんな中でも日本からのボランティアの協力などを経て、300万本のポプラ植林に成功。
かつて砂漠だった場所は、見事緑地化に成功。その功績から遠山の銅像が中国に建てられるが、生前に銅像が建てられたのは、毛沢東と遠山正瑛のふたりだけだという。

このボランティアは今も引き継がれている。→(日本砂漠緑化実践協会) 


たしか、遠山さんは、番組の中で、こう言ってたな…全ては覚えてないけど、

知恵のある人知恵を出せ、金のある人金を出せ、力のある人力貸せ と。

今がその言葉が生かせる時。

 

やっぱり、トップが先陣切って、敵地へ向かうという姿勢が要る。

むかし、カイワレ食べたみたいに。

総理と言う職は役者な面おおいに必要。

大変だなって思うけど、

選ばれてなれるものじゃない。器用さも要る。

 

とかいう私は何の浅悪知恵あるも、金策なし、

力と燃やせる脂肪なら負けはしない!

 

何かを始めようとするとき

何かを得ようとするとき

何かを生み出すときは

必ず自分の何かを捨てなければいけないものが出てくる。

その何かは、個々に違う。

プライドか、お金か、思想か、信頼か、絆か、仲間か・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういうことを、遠山さんは言いたかったのではないか。

 

何にしても、真摯に、真心を示そうとしても

元L・D社長H氏が、それは自己満足だ!と一蹴してしまうような人もいる。

本当の意味の「賢い」選択をし続けたいと思った。

 

難しい経済理論・物理工学がわかって

ディベート日本大会で優勝する賢さも世の中には必要かもしれないが、

人の気持ちがわかる、いや、わかろうとする賢さの方が今の今は必要だと思う。

 

 

ちなみに私も人の事言えないんですよ・・・とほほ。。

井戸端、苦手。陰で言わない反面、直に言い放ち過ぎる傾向。

綺麗ごとはいらない主義。根もち無し。

落ち込み半端なし。そのくせ、切り替え案外早し。

正義感強し。虎穴に入る。グレー色なし。

長いものは巻かずに切る。

結局、ナルシストなのか?

 

 

 

 


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